コラム

電動クルマ椅子は不便!?
最近松江の町を電動クルマ椅子でスイスイと走る人が増えてきた。自分もその一人である。2年前、体のバランスが悪くなり、歩行をあきらめ、電動クルマ椅子にした。それまで電動クルマ椅子は楽でいいね、なんて友達に話していたが、いざ乗ってみると結構不便。
タクシーも特殊な車、昔何の気なしにいってた店屋も、段差があって一人で行けない。一時行動範囲は激減した。でも歩いていたころより早く動けるので、快適でもある。一人で行ける店たくさんあればいいなあ。

共に生きる
事故や災害は突然おきる。私は交通事故で失明した。失明し15年になる、いつだれが事故にあうか解らない時代である。事故に会い失明し、家族の大切さ、ボランティアの必要性を知った。私は平成3年に盲導犬を貸与いただいた事、パソコンを始めた事が社会参加と自立へのきっかけとなった。

「人」という字は1と1が寄り添ってできている。人はだれも一人では生きていけない。生まれてから今までの長い人生に多くの皆様に支えられて生きている事、それは家族であり友達であり、陰で支えてくださる多くのボランティアの皆様だったりする。私達はみなで支え合い生きているのではないだろうか。

地域が地域を支える時代である。高齢化もどんどん進んでいく。地域に住むみなで支えあって生きてゆく時代である。地域の子供さんたちを地域で育てる時代である。みなで「共に生きる」「共にあゆみ共に学ぶ」教育を大切に思う。

ユニバーサルデザインと言う言葉がある町や道だけでなく、ソフトとしての人の心づくり、「心のユニバーサルデザイン」づくりを今の時代一番大切だと思う。人づくり、町づくり、「共に生きる」を大切に、住み良い松江を、皆でつくろう。

景色になる時
10年前にこんな詩を書いた。

私が街の風景になる事。
特別扱いをされるのではなくて、
ただ、その街の一員でしかなくなる事。
青く晴れ上がった空の下、春風の中を一人きり、
電動クルマ椅子で桧山トンネルからバイパスへの道を下る。
街路樹のわきを通ればケヤキの若葉が輝き、
その光の中を一団の高校生の自転車がすれ違うそんな時。
この風景の中にいると、
ほんの一瞬わたしも景色のひとつになった気がして、
言葉にならないくらいの満足感、それに解放感を感じる。
この・一瞬・が、永遠に続けば、どんなに素晴らしい事か。

勘違いのバリアフリー
この間出来たパチンコ屋でのこと。パチ好きなので打ちに行った。
お〜っ!車いす専用駐車場があるではないか!入り口も段差なし。お〜!トイレもOKね。素晴らしい。
さて椅子をはずしてもらおうかな、お〜い店員さん。
「はい、ここですか。椅子に移れますか?」
あれっ?椅子外れないの〜。
「はい・・・。」エーっ。
…そうか、この系列は前から打てなかった。しょうがないかぁ。でもこれってねぇ…設計段階から勘違いあるのかな?

飲んで安全
ある秋の日、桧山トンネルから駅へ行く道を電動クルマ椅子で散歩していた時、ある交差点で止まって、斜め前の車にフッと目がとまった。
ワゴン車の後部ガラスの文字が目に飛び込んだからだ。なんと、そこには「飲んで安全、飲んで安心」という文字があった。
 これは、本当に大胆だ。なにを血迷って飲酒運転を奨励するようなことを書いているのか!と、よくよく車を見ると、車の横には「○○茶舗」と書いてあった。
 うーん、偶然出来た松江らしいオチと言うべきか、出来損なったブラックユーモアなのか、なんとも微妙な話だ。

松江
学生時代、通学路の途中に塩見縄手がありました。堀川、松並木、武家屋敷...当時は気にしなかったのですが、今思うと大変ぜいたくな通学路だったと思います。昔からの景色を大切にしている松江らしい場所ではないでしょうか。多くの観光客の方が来られ、たまに(ごくたまに?)ドラマなどのロケが行われたりするのはそのためでしょうね。
今回バリアフリーマップに参加させていただき、視点を替えて見ると今まで気づかなかった障壁が見えてきました。昔からの風景を大切に守りながら、幅広い多くの方々がそれを楽しめる、そんな松江にしていきたいですね。

トイレの話
たまたま入ったトイレが混んでいたということもあり、隣にあった車いす対応のトイレに入った。「広い…」単純にそう思った。車いすの方がどのように利用するのか、私は見たことが無い。おそらく一般的なトイレでは利用は不可能に近いだろう。私が一日何回もトイレを利用するように車いすの方もトイレに行くのだろう。私のトイレの選択肢に比べ、車いすの方の選択肢は少ないのだろう。バリアフリーを目指すのなら、何はともあれ車いすの方が利用できるトイレを造ることだと、私は思う。

点字ブロックについて
歩道で見かける「点字ブロック」、線や丸のでっぱりで全盲の方の歩行を助けるというのはよく知られていますが、「色」も大切だというのはご存知でしたか? 弱視の方などにとっては、歩道を表す「色の線」になり、これも歩行を助けるものになります。点字ブロック上に駐車したり、自転車等障害物を置いたりしないようにしましょう。

こころのバリアフリー
ハードがどれだけ優れてもそれにソフトが伴っていないと意味がありません。今まで高齢者や障害を持たれた方が主役だったのが、みんなが主役、という考え方に変わってきています。オーストラリアではインクルージョンという教育の考え方があって「車いすに乗っているから見学」ではなく、「一緒にやれることをやろう」という考え方です。ハードの前に教育を充実させる必要もありますそれには「人にやさしく」の精神が大切です。礎はハート(こころ)のバリアフリーですそれなくしてユニバーサルデザインは成功しません。

身障者割引について
皆さんは身障者割引というものをご存知でしょうか? 身障者の方はそれぞれの障害の程度を表す身体障害者手帳を持っています。その手帳を見せることで、公共交通機関や各観光施設などの料金が割引になることを、身障者割引といいます。先日、ある人がこう言われました。「もし対応について何か言いたい事があっても、自分は他の人に比べて割引されていると思うと、それもなかなか言いづらい…」。相手の気持ちを考えるあまり、自分の意見が言いづらくなってしまう。皆さんはどう思われますか?

バリアを作るボランティア
とある飲食店のご主人の話。以前、車いすに乗った人と、その介助者がきたそうです。介助者がイスをどけてしまったため、他のお客さんが通れなくなってしまいました。
それに気がついたご主人が注意したところ、思いもよらない言葉が・・・。
「私はボランティアでやっているんだ、この大変さがわからないのか!!」
この介助者は、いったいどんな気持ちでこんな風に言ったのでしょうか。ちなみにこのお店のご主人は「そういう人にはもう来てほしくない」といっておられ、今回のてくてくブックへの情報掲載も断られてしまいました。
入口に段差があっても、点字の案内が無くても、手話が出来なくても、お店の人の気持ち次第で、バリアを減らすことが出来ます。でも、今回は物理的なバリアを補うために行ったはずの介助者が、結果としてご主人のこころにバリアをつくってしまうという皮肉なことになりました。
ボランティアだからといって社会的なマナーを守らなくてもいいということにはならないと思うのですがいかがでしょうか。バリアのない建物も必要ですが、それ以上に大切なものやボランティアという言葉の意味をもう一度考えてみませんか?

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